Vol.3 社長就任と『キンカン』の変遷
インタビュー内容
社長就任と『キンカン』の変遷
山崎
社長室長というところにいて、そこから常務になって、専務になって、代表専務をやって、その時代がちょっと長かったですけど、それで社長になったんですね。で、職種と言うかとにかくこの業界というのは業界の中で顔を売ることが仕事だと思います。
この薬の業界と言うのはそういうところで、日本全国狭い世界でありますので、なのでうちの営業にくっついて、役員とかにくっついて、全国のお得意さんのトップと話をしたり、そういうふうに営業周りを一緒にやった記憶が強く残ってますね。
山崎
地域の団体もたくさん入っていまして、薬の業界をはじめとして、7つぐらい役職を持たされて大きいことをやってますけども、地域の団体で法人会であったり、工業会であったり、一部青年会議所だったり、いろんなことをやってきています。
やっぱり昭和21年からは三軒茶屋に会社がありますけれども、最初に生まれたところも世田谷で、三宿で始まってますので、やっぱり地域に根付いた企業でありますし。地域で色んなことをするのは、宿命というかやらないといけないこと、地域が大切に出来ないと会社は滅びるんじゃないかなと、そんな気がしていました。わかんないですけどね、先代、父がやっていたので、やらないといけないんだろうと思ってましたんで。
山崎
昔に私が社長になった時には、この瓶ですよね、このパッケージで、この瓶を作っていました、むかしからキンカン知っている方はよく知っていると思うんですが、これをあけると中にこうスポンジが付いていて、スポンジで塗る。で、基本的にはキンカンの最初の効能というのは、火傷から始まってまして。
それで、キンカンの歌というのがご存じだと思うんですけど、一番で、「かんかん鍛冶屋のおじいさん、肩こり腰の痛みには…」って歌詞なんですね。だから、一番で「肩こり腰の痛みにキンカン塗って、また塗ってキンキンカンコン」って、2番が終わって、3番で初めて、毒虫という言葉が出てきます。
なので、最初、キンカンは火傷で始まりましたが、肩こりと腰の痛みで始まった。それから擦り傷とか切り傷にも使われた、だからスポンジだったんですね。スポンジでこう痛いところでもそっと塗れるし。がりがりやれば、かゆいところも塗れますし、肩こりなんかも塗れるし。
ただそれをうちの父の時代に、ワンタッチに変えました。で、私が社長になった時には、もっと大きいのがあったんですが、これがなくなって、これが残っていて、ワンタッチの形に変わりました。今の丸瓶ですね。ここにミニチュアが出ていますけど、こういう瓶が入っています。
今度それはここにちょっとないんだけど、この入れ物のパッケージだったんですね。これを私の時にキンカンのマークを漢字の入っている三角のマークをやめて、Kのマークにして、パッケージを黄色から赤のグラデーションに変えていったというのが私がまずやったことです。
経営者プロフィール
| 氏名 | 山﨑 充 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
| 社名 | 株式会社金冠堂 |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都世田谷区三軒茶屋1丁目34番14号 |
| 設立 | 1926 |
| 業種分類 | 医薬品 |
| 代表者名 | 山﨑 充 |
| WEBサイト | http://www.kinkan.co.jp/ |
| 事業概要 | 『キンカン』を始めとした一般用医薬品、医薬部外品、食品等の製造 |