Vol.2 ツムラ入社の経緯と今に生きている経験
インタビュー内容
ツムラ入社の経緯と 今に生きている経験
山崎
考えますと今はグローバル化って色々なことを考えていて、会社の中でもとにかく、会社も世界に向かって日本が少子高齢化になったら、日本はもちろん、海外からもそうですし、日本の新製品もそうなんだけど、しかし海外に向かっても行かなくちゃいけなくて、なぜ私は英語が得意じゃないんだって話になるわけですよね。
大学を出て、2年でも3年でも留学、当時はただ行けば語学留学になりましたが、今の時代は違いますけど、そう考えるとなんでその時代に海外に出してくれなかったんだって話もしますが、多分時代が時代だったんでしょうし、早く家業を継いでもらいたいってことで。
時の津村順天堂さん、今のツムラに入社をさせていただくことになります。音楽しかやってなかったんですけど、いきなり漢方薬、で2カ月間の缶詰研修で、難しい漢方の名前を一生懸命漢字を書いたりして、それから漢方薬は婦人科系がすごいつよいと思いますが、そのメカニズムとか、それから免疫学とかそんなことを毎日、毎日叩き込まれて、テストをされて。
考えてみたら僕は音符しか追いかけてなかったのになんでこんなことをしなくちゃいけないんだと思いながら、しかしそれでツムラさんで5年半ぐらいお医者さんの今でいうMRというのかな当時はプロパーをさせて頂いて、そのあとにドラックストア回って、それからうちに帰ってこいと言われて、帰ってきたとそんな経緯ですね。
大学で音楽しかやってなかったのが、漢方覚えろだ何をやれと言われても、そんな簡単に出来るわけじゃないし、ただその職場について、上司もこいつはそうとうできないなと思ったと思うんですね。ただそのあとに年数を重ねていく中で、やっぱり新しい猛勉強というかそういうことをさせていただいたのは、その時代だったと思いますし、そこまではのほほんと歌を歌っていたわけですから。
だけどその、でもツムラに入って、いろんな勉強をさせて頂いて、何かいいことがあったかと言うと、多少やっていない人に比べたら病気の知識と薬の知識といろんなことがその時に学んだというか、それが今に生きているんじゃないかなと思ってますけどね。
山崎
いや、帰って来いと言われたから帰ってきただけで、別に私はツムラにいたかっただけなんですけどね。だってここに3代目として戻ってくるということは、もうここから先はですね、会社ならある程度上にあがって行く立場にありますし、社員たちにとっては、別に先輩だろうが後輩だろうが関係なく上がって行く人間でありますから、もっと世間をみるとかですね、もっとしたかったんじゃないかと思いますね。そうしないとお山の大将になって、会社がつぶれるだけになっちゃうし、と思うんですよね。
山崎
ただ、ツムラさんにおせわになったこともそうなんだけど、音楽をやっていたバランス感覚だとか、ああいうのは今だに生きているような気もするし。これね、なんとも言葉にするのが難しいんだけど、勘所というのかな、そういうところは意外と自分でいうのも変なんだけど、悪くないと思うんですね。うちの業界の中でも音楽をやっている社長さんがいらっしゃいますけど、すごく勘所がいいし、そういう意味では同じですかね。
経営者プロフィール
| 氏名 | 山﨑 充 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
| 社名 | 株式会社金冠堂 |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都世田谷区三軒茶屋1丁目34番14号 |
| 設立 | 1926 |
| 業種分類 | 医薬品 |
| 代表者名 | 山﨑 充 |
| WEBサイト | http://www.kinkan.co.jp/ |
| 事業概要 | 『キンカン』を始めとした一般用医薬品、医薬部外品、食品等の製造 |