Vol.3 社長就任までの道のり
インタビュー内容
社長就任までの道のり
聞き手
ご自身は42歳の時に社長に就任されるんですが、その間の20年間はどういうお仕事をしてこられたんですか。先ほどの新規事業の立ち上げからスタートして。
山下
それが2年弱くらいでしたかね。で、仕事のやり方もわかってきて、当時も色んな建て替えがあって新規に建て替えがあると、医療ガスの配管を通してですね。酸素とか麻酔のガスだとかを吸引の装置を入れて吸引したりとかっていう走りなんですけど。そういうことをやって図面を描いて施工をして、ヘルメットをかぶって現場に行ってですね。ボイドという配管を通す筒を釘で刺して固定したりですね。
聞き手
もう完全に現場を回ってらっしゃった。
山下
現場監督さんと現場で会議にはいるんですけどね。まだ23,4位ですから、おっかなかったですけどね。医療機器の業界とまた違った別の世界があって。
聞き手
そういう現場のことから、営業の部分だったりあらゆる分野を。
山下
そこは1年半位で、今度はまた次の所が出てきて、昭和53年でしたかね。福岡の方に事業所を出したいということで出して。先遣隊で2〜3人で行って。そこに計数機等を売っている会社さんんがあって、メーカーさんがあってそこは福岡でやって貰えないかってはなしがあって。そこに、次はそこだと言われて。今度は当時は山下医科器械は福岡の人はほとんど知らない所ばっかりなんで、新規開拓するしかないんですね。なので、そこを昭和55年からですかね、そこも1年半くらいやって、新規で飛び込みで。会社案内とか色んな商品を持ってセールスに行くんですね。そう簡単に口座は開かないので、本当に仕事が無い辛さ。仕事がないのはこんなにつらいのかと。
聞き手
なかなか受注できないから。
山下
やることが無いんですよね。
聞き手
その経験をされてらっしゃるからこそ、忙しくなって大変だと思っても、仕事が無いことに比べたらこんなのはぜんぜんいいってなるんですかね。色々経験されて、42歳の時に社長に就任されるんですが、どういったタイミングで社長にってなったんですか。
山下
父も70になる時だったので、2〜3年前から代表権のある専務を経て社長になりました。
聞き手
いよいよ社長にってなった時に、自分の代にはこういう会社にしたいとかこういう経営者になろうとかなにかそういうことは考えられたりしましたか。
山下
社長就任の時に、社員総会みたいなもので話したのが、質的日本一ということを言ったんですね。売上的には非常に超一流の会社はたくさんあるわけだから、売り上げで、量の部分では負けるわけですけど。質的に日本一になろうと、業界でもそうだし、企業としても質的な形で日本一になろうと話をしたんですね。なので、それはいろんな事業だとか製品とかいろいろ会社の仕組みですけど。一番私がうれしいのはですね。お客さんのところに行って社員をほめてもらえるのが一番うれしいんです。よくやって貰っているとかですね。助かってますと。一番は社員の質が一番だとおもいますけど。それが高まることによって、一生をかけて悔いの無い会社に繋がると思うんですけどね。そういった意味で社風がいいとか、経営も安定しているとか、そういう質的な意味で日本一になりたいなと思っています。
経営者プロフィール
| 氏名 | 山下 尚登 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
| 社名 | 山下医科器械株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 福岡県福岡市中央区渡辺通3丁目6番15号 NOF天神南ビル6階 |
| 設立 | 1926 |
| 業種分類 | 卸売業 |
| 代表者名 | 山下 尚登 |
| 従業員数 | 518 名 |
| WEBサイト | http://www.yamashitaika.co.jp/index.html |
| 事業概要 | 医療機器の販売、レンタル、リース、理化学機器の販売、医療事務コンピューターの販売、医療設備器械の販売 |