山芳製菓株式会社 『わさビーフ』が有名な菓子製造メーカー。競合他社と一線を画した商品開発で成功 山芳製菓株式会社 代表取締役会長兼社長 山﨑 光博  (2016年6月取材)

Vol.1 食品会社での経験と山芳製菓で感じたギャップ

インタビュー内容

エピローグ

聞き手

本日はポテトチップス業界で第3位、代表作わさビーフで有名な山芳製菓株式会社代表取締役会長兼社長山崎光博会長にお話を伺って行きたいと思います。それでは会長よろしくお願いします。

食品会社での経験と 山芳製菓で感じたギャップ

聞き手

今日はこちら本社、東京都の板橋区の常盤台というところにお邪魔しているんですが。ご創業もこちらですか。

山崎

いや創業は文京区に本駒込って場所があるんですけど、そこがうちの父が昭和28年に創業した場所です。

聞き手

将来はご自身は長男ということで、後を継ぐという意識はおありだったんですか。

山崎

いや小さい時は言われていましたよお前が後を継ぐんだって。でも漠然としていましたよ。あまり実感がなかったけど、高校の時にですね大学をどうしようかと考えたときに自分はどっちの方向に進んだ方がいいだろうという時に、やっぱりうちの会社を継ごうと思って、そこで決心しましたね。

聞き手

すぐに学校を卒業して会社に入られたわけではないんですよね。

山崎

ぽこちゃんぺこちゃんの不二家さんに5年間お世話になりました。

聞き手

サラリーマン時代は何年間。

山崎

5年間です。

聞き手

5年間のサラリーマン生活はいかがでしたか。

山崎

どうせだったら営業をさせてくださいと。で、営業ならば大阪がいいだろうって、導入研修が4月に入社して、10月まで導入研修があって。10月に大阪に営業として赴任させていただいて、寮生活で。そのあと本社に戻ってきてですね。営業関係だとか、開発関係だとか、教えて頂きました。

聞き手

関西は営業では厳しい環境があると。

山崎

そう思ってましたからね。だけど私はとってもわくわくして行きましたね。楽しいな、楽しみだなって。どんな人達と会うんだろう、どんなところなんだろうってそういう思いでいきました。大阪商法ってこういうことなんだなと学ばせてもらったし。たくさん良い人たちに巡り合えたし。私の中ではね。大阪って第二の故郷だなって思うまでに至ってますね。

聞き手

すごくいい時間をすごして、

山崎

そうですね、はい。

聞き手

ブランド力がすごくあるというところでやっておられて、今度はご自身の家業としてらっしゃる会社に戻ってきたわけですよね。またちょっと違ったイメージがあるとおもうんですけど。その辺りのギャップというか。

山崎

まあすごいギャップですよ。企業の規模も全然違いますしね。そんな中で我々の独自の色を出していかないとだめなんだろうなって、その独自の色っていうのは社員さん達だろうなと。社員さん達がどんなふうにモチベーションをあげてくれるか、能力を上げれもらえるかとういうことが一番大事だろうなと思いましたね。そこにずいぶん腐心してきたというところです。

聞き手

戻って来られてすぐの時と言うのは、どういうお立場で、どういうお仕事をするために戻って来られた形ですか。

山崎

その頃は埼玉に工場が1個だけあったんで、そこに行きましてね。何もわからないくせに専務で入ってきて、

聞き手

専務職でもう。

山崎

そうですね。はい。22で不二家にお世話になって、27でうちの会社に入ってきて。同時に結婚して。と言う風な形で専務として入ってきました。


経営者プロフィール

氏名 山﨑 光博
役職 代表取締役会長兼社長
生年月日 1954年10月8日

会社概要

社名 山芳製菓株式会社
本社所在地 東京都板橋区常盤台1丁目52番地3号
設立 1953
業種分類 食料品、飲料・たばこ・飼料製造業
代表者名 山﨑 光博
WEBサイト http://www.8044.jp/index.html
事業概要 「わさビーフ」をはじめとしたポテトチップス、スナック菓子の製造
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