Vol.1 歴史
インタビュー内容
歴史
芦原
この会社は昭和18年12月30日に設立されたんですね。創業は翌年の昭和19年1月1日創業なんです。昔は1月1日にみんなが集まって、新年祝賀会というのをやったんですね。昭和40年ぐらいまでやってました。今年はおかげさまで70周年を迎えます。こんなことなんですよね。
今言いましたとおり、昭和18年19年というのは太平洋戦争中でしたから、軍事物資を迅速に運ぶにはどうしたらいいのかでいうところはメインで、横浜市を東部と西部で分けて、私どものほうは東部地区を担当した。その時は「横浜東部運送」という会社でした。もう一社が西部地区を担当して「横浜西部運送」という会社の2社で、横浜港とか横須賀港に食料品とか石炭を運ぶのが、軍の命令で主にやっていました。
芦原
だからその免許というのは、今は国土交通省の陸運支局長というところが許可証と免許を出すんですけど、当時は戦争中ですから軍のトップは、この辺のトップというのは県知事ですね。だからうちの免許は神奈川県知事が出しています。そういう歴史がある会社ということでしょうね。
芦原
僕は総務部に一番最初配属になって、百貨店部に応援に行って●●(00:02:22)とかそういうのね。そのまま転籍になって、それから石油輸送部に転勤になって、それからセメント輸送部に転勤になって、また百貨店部に戻ってきて、それから本社。そんな感じですね。ふらふらしてました、関東圏をね。
芦原
自分の人生にとってのターニングポイントといいましょうか、忘れられない状況というのはありました。それで今の会社が、みんなと一緒に一生懸命やって、今の会社があると、そういう感じでしょうか。社長になって3年目、その時に40年からの取引であった会社さんが、営業不振に陥って取引が終了したということですけども、取引量は全体の30%ありましたから、相当厳しい状況に陥ったわけです。そういう中で社員全員が一丸となって、いわゆる新しい事業を作っていこうとか、荷主さんとの取引の進行というようなことも含めて、いろいろ活動をして、神奈川県を主体とする業者から、関東、中京、関西、北陸、東北というような営業基盤は作っていけたということだろうと思います。今思えばそのターニングポイントが一つになって、発展できたといいましょうか。そんなふうに思ってます。逆に見れば、それがなければ、今の東部ネットワークというのはないかもしれませんね。そう思っています。
経営者プロフィール
| 氏名 | 芦原 一義 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 |
| 生年月日 | 1944年10月5日 |
| 出身地 | 神奈川県 |
| 座右の銘 | 「先憂後楽」 後に良かったと思える行動をしたいから |
| 愛読書 | 全部 |
会社概要
| 社名 | 東部ネットワーク株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 神奈川県横浜市神奈川区栄町2番地の9 東部ヨコハマビル7F |
| 設立 | 1943 |
| 業種分類 | 陸運業 |
| 代表者名 | 芦原 一義 |
| 従業員数 | 420 名 |
| WEBサイト | http://www.tohbu.co.jp/company/ |
| 事業概要 | 貨物自動車運送事業、商品販売事業、不動産賃貸事業及びその他事業(自動車整備部門、損害・生命保険代理店部門)を主な事業内容とする。 |