Vol.3 マネジメント層を目指した経緯と社長就任秘話
インタビュー内容
マネジメント層を目指した経緯と社長就任秘話
聞き手
今までやって来られた中でここは大変だったなと思われたポイントが幾つかあると思うんですけど、マネジメントの部分とかはどうなんでしょう。
宮原
当時は、勤務地限定職っていうのは、マネジメントには行けないんですね、ある程度正社員にならないと行けなかったんですけど、だから、マネジメントの方は、大学でも勉強してましたし、軍事で士官になるわけですから、それは一番勉強した分野だったのですけども、やっぱりその層に行こうっていうよりも、いかに現場で実績積むかっていう方に意識が行ってましたね。
ただ、神戸支社だったので、1995年の1月17日の阪神淡路大震災の時に、自分が権限がないが故に、自分の部署が駄目に、駄目っていうか、義援金とか支援金とか、補助金とかが取れない時に初めて、マネジメント層というか、決裁権を持つ所に行きたいなって、その時思いましたね。
聞き手
それがきっかけだったんですね。
宮原
そうですね、やっぱり権限がないと何も出来ないということが凄く分かりました。だから、上長が取って来た予算でいかに効率的にやるか、で、実績出して、またその利益で拡大、再投資ってやって来たんですけど、新しい企画とか、じゃあこういう事どういう風に補填したりとか、一時的な単年度のお金もやっぱ決裁権っていうのとかがないと、何も出来ないなと思ってですね。
それは凄く思って、とりあえずは支社長か部長までは行かないといけないなと思ったのは凄く覚えてますね。
聞き手
そうやってやって来られて、それこそ事業部の責任者になられたりとか、執行役員になられてっていう所にトントンと進んでいかれるわけですけど。
宮原
東京に来てからは出世が早かったですね。
聞き手
それだけ人と違う経歴の中で、急激に成長されてトップに立つことが出来たその要因は何だと思われますか。
宮原
だから、違う世界から来てるので、お客様をしっかり見れてたんだと思いますね。やっぱり民間企業って言うのは初めてだったし、本当朴訥な生活をしてやってましたから、新鮮だったし、で、素直に見てるんですよね、会社とか、お客様とかお金の流れとか、物の流れを。で、やっぱり流通業よりは製造業の方に行って記憶に残るような、教育に行きたい。
で、お客様、本当はお金を払うのは母親や父親ですけれど、利益を受けるのは子供ですよね。子供の為に良い教材を作ろうって発想、学研はあったんですね、ただ当時の流れから言うと、お金を払うお母様が気に入る商品を作るとか、お金を払う先生に気に入る商材を作ろうとか、色々な企業あるんですけど、学研は常に書店さんとか、取次さんには多少は配慮してますけど、読者とか教室で言ったら、会員さんとか、学校とか園だと子供達の為にお金払ってない最終的な受益者の為に物作りをしてるって言うのが一番大きかったし、僕はそれを凄く新鮮に思って、愚直にそれはやってましたから、それが成果として出て来たんだなというふうには思いますね。
経営者プロフィール
| 氏名 | 宮原 博昭 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
| 社名 | 株式会社学研ホールディングス |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都品川区西五反田二丁目11番8号 |
| 設立 | 1947 |
| 業種分類 | 情報・通信業 |
| 代表者名 | 宮原 博昭 |
| 従業員数 | 3035 名 |
| WEBサイト | http://ghd.gakken.co.jp/ |
| 事業概要 | 「学研教室」などの教室・塾事業、児童書、学習参考書などの出版事業、高齢者福祉・子育て支援事業、園児用月刊誌や教科書発行などの園・学校事業 |