株式会社丸三電機 様々なメディアから注目されるヒートシンク分野のパイオニア 株式会社丸三電機 代表取締役社長 竹村 元秀  (2014年2月取材)

Vol.1 エピソード

インタビュー内容

エピソード

竹村

当社は昭和38年に創立をして、今年51期を迎えています。私の叔母が昭和20年、戦争が終わってからすぐに、秋葉原で露店から始めて、そちらの会社もまだあるのですが、ですからもう64年。そういう中で東京に。僕は奈良から出てきて東京に。大学こちらに来たのが昭和46年。大学を出たのが昭和50年で、叔母に子どもがなかったのもですから、入ろうかということに。ただ叔母がすぐに入るのは良くないと。とにかく修行をしてこいということで、それが決まっていて、もう試験も受けて、役員面接も受けて、全部決まっていたところが、ちょうど昭和48年にオイルショックというのがあって、それが今なら、オイルショックみたいな大きなことがあれば、つい最近のリーマンショックもそうですが、アメリカで、あるいは世界で何があってもすぐに影響を受けるような、今は時代ですが、当時は中小企業に影響が出てきたのが、1年半も2年も経っての話。

竹村

たまたま就職が決まっていて、3月卒業で、昭和50年の3月卒業のちょうど2カ月前に大学から家に帰ったら、その叔母が社長でやっていたんですが、給料袋を陰のほうでいろいろ細工をしているので、自分の給料を、社長としての給料を。どうしたのということになって、見つかったか、みたいな顔をして、実は会社から、今は丸三電機から給料をもらえないんだと。オイルショックというのが中小企業にきて、売上が下がる、利益が下がる。社員には払わなければいけないので、自分はとれない。

でも今まで自分が残したものもあるし、銀行から現金を下ろしてきて、給料袋だけを経理からもらって、そこへ入れて、養っているお母さんなどに渡していた。それを聞いた時に、僕はまだ若かったので、なんだと。丸三電機の社員は社長にも給料を払わせないぐらい頼りないやつばかりなのかと思って、もうよそに修行に行くのは嫌だと。丸三電機に入って、新風を吹きかけたいと。そんな簡単にはいかなかったんだけど、その当時は本当にそう思って。叔母である社長を説き伏せて。そう思っているのであれば入りなさいということで入りました。

竹村

ですから、入社のいきさつというのは、普通は社長の息子だとか、身内だとかということになると、本当にどこか修行に行って、2、3年。商社であればメーカーに行ったり、いろいろなことをやって、それである程度、社会のことを2、3年覚えて、戻ってくるというのが通例ですが、僕の場合は、そういういきさつがあったものだから、学校を卒業するやすぐ、卒業式が3月1日で、3月3日には当社に入って。今は60人以上いますが、当時は20人前後の会社だったので。そういういきさつがあって、非常に僕にとっては。でも修行するのも、いいこともあるんでしょうが、始めからだから、よそは何も知らない。その中で僕の考えで、社長になったのは39歳の時だから、22で卒業して、39までの17年ぐらいあるので、それはいろいろ紆余曲折はあったのですが、いろいろ勉強したり、いろいろなことがあったけど。一つの非常に思い出というか、そういう思いがあったから、自分が新風を吹きかけるというような思いがあったから、一生懸命頑張ってこれたのかなと。


経営者プロフィール

氏名 竹村 元秀
役職 代表取締役社長
生年月日 1952年6月7日
座右の銘 己を知り、人を知り、時を得る
尊敬する人物 創業者 田中キヨ子

会社概要

社名 株式会社丸三電機
本社所在地 東京都千代田区外神田3-9-2 
設立 1963
業種分類 電気機器
代表者名 竹村 元秀
従業員数 70 名
WEBサイト http://lex.co.jp/
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