Vol.1 歴史
インタビュー内容
歴史
森坂
創業は20歳です。18歳の時に大学なんて行く気がなかったものですから、就職しなければならない。たまたま植木屋さんを知り合いの人が紹介してくれました。
植木屋みないな仕事があるのだと思って、まさかそのような仕事に就職するとは思ってなかったです。自分の高校生時代に、山登りが好きだとか植物が好きだとか、自分の好きな物がわかっていたから、植木屋さんだったら何とかなるかもしれないと思って、紹介してもらい、千葉県の小さい3人くらいの植木屋さんに就職しました。
森坂
その職場は1年で退職して、2年目は大阪に行ったのです。大阪でも園芸会社に就職したんですけど、そこでも違うと思って、しょうがいないのでもう自分でやってしまおうと。
死生観というでしょう、宇宙から見たら自分の人生なんてあっという間に終わってしまうといった、そういう思いがすごくありました。小学生の頃から私は死ぬのが怖かったですし、そういう焦りからなんとかしなきゃとなって、あとは自分でやるしかないということになってやったわけなのです。
何も知らないからできたのですけどね、知ってたらやってないですよ。園芸会社は土地がいるのです。在庫を置かなくてはならないので、だから大体、地主さんの息子やもともと造園屋さんの息子がやっているのです。
森坂
私には何もなかったわけですから、でも、知らないからできるということもあります。何も知らないから20歳で独立しました。
はじめはレンタルの植物の注文取りをしました。当時でしたら喫茶店とかホテルなどで、そういうところに植物を置く。45年前ですからそういう時代背景がありました。高度成長が始まって大阪万博のちょっと前ぐらいです。昭和43年頃です。新しい店がどんどんできる時代ですから、そこに植物を置いてくださいと、2,3個の小口です。
高価なコンピューターなんかだったら20歳の青年に注文くれないでしょ、でも植木鉢2,3個を喫茶店に置くくらいだったら、「お兄ちゃん元気良いから置いてあげる」というお客さんがあったのです。まあ、そういういろんなラッキーが重なって、お客様で経験を重ねることができたと、それがずっと45年間続いているのです。
森坂
自分は有限、無限のものではないと知ったはずなのです。それを知った時に普通は大問題です。人生でその発見以上に大きい発見ってないのですから、その時にずっこけるくらいびっくりしなくてはいけないはずなのです。普通は。それを何となく知ったという人が多いのですが、それはおかしいのですよ。
世の中で歴史に残る人とか、立派な会社の創業者に聞いてごらんなさい。みんな正しい死生観を持っています。自分の人生は有限だとどう使ったらいいのかと。
結局は冒険をするという手もあるし、役者の修行をするようなところへ行って、人々に大きな感動を与えるような仕事をしたいと思いますが、自分に才能がなければ、自分の目の前の仕事を一生懸命にやるしかないということにたどり着きます。
もっとほかに才能があればそういうことをやってますよ。絵を描くとか、小説を書く、それをしたいですよ。医者になるとか教育者でもいいかな。自分の目の前の仕事をこつこつと一生懸命にやるしかないということです。
人生二度なしという言葉は後でもらったんです。そういうことを言っている人からもらったんですけど、まさにそれだなということです。
経営者プロフィール
| 氏名 | 森坂 拓実 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 |
| 生年月日 | 1948年1月28日 |
| 出身地 | 福井県 |
| 座右の銘 | 人生二度なし |
| 愛読書 | 修身教授録 |
会社概要
| 社名 | 株式会社ユニバーサル園芸社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 大阪府茨木市佐保193-2 |
| 設立 | 1974 |
| 業種分類 | サービス業 |
| 代表者名 | 森坂 拓実 |
| 従業員数 | 473 名 |
| WEBサイト | http://www.uni-green.co.jp/ |
| 事業概要 | オフィス、ホテル、商業施設などへの観葉植物レンタルが主軸。園芸関連商品の販売、造園事業も展開。 |