Vol.3 マイクロ波との出会いと起業秘話
インタビュー内容
マイクロ波との出会いと 起業秘話
吉野
卒業をした後はですね、アメリカで仕事をしようと思って、周りの学生がアメリカで仕事をするんだと言いながら、結構日本に戻ったりしていたので、そうではなくて、おれはアメリカにきたんだから、アメリカで仕事をしようと思って、アメリカで仕事を探しましたね。かなり苦労しましたけど。
エネルギーとか環境技術のベンチャー企業を支援するようなコンサルティングのような仕事ですね。アメリカで仕事をしてみてですね。感じたのは、基本的に自分でとにかく何でもやらないといけない。自分で、特に小さな会社だったので、自分自身でネットワークを作るのもそうだし、まっててもなにも来ないというかですね、当たり前の話なんですけど、自分自身が主体となって、やらないと行けないなというのは感じましたね。
吉野
その時にベンチャー企業を手伝って、ベンチャー企業の事業開発とかですね、そういうのを手伝っていたんですけど、自分で仕事をしないなと、事業を立ち上げたいなというのを思ってですね、ネタを探している中で、今の阪大のグループとの出会いもあってですね、会社を立ち上げたっていう次第ですね。
阪大の技術であったのはですね、私の出身の三井物産のベンチャーキャピタル部隊と話をしている時に、面白い技術を売っているグループがいるよと紹介を受けたっていうのが最初ですね。私自身がやろうとおもっていた別の技術があってですね、その技術の評価を阪大のグループに聞きにいったのが、きっかけですね。で、話している中で、マイクロ波を使ったほうがもっとうまくいくんじゃないのという話になってですね、でそこから会社を立ち上げることにしたと。
実際に準備をする中でですね、今の私の共同創業者の塚原が、彼自身も技術を事業化したいという思いが強くてですね。2人で立ち上げようかということで立ち上げたんですね。
吉野
環境とかエネルギー技術とかにずっと興味はあった。アメリカの仕事もそういう仕事だったですし、三井物産も化学品だったので、そういう意味では経験を生かして、企業できたらいいんじゃないかと思いましたね。
私自身はですね、実は研究者ではないので、もう1つ別の会社を手伝ってですね、そちらで収入を得ながらですね、こちらの会社はそれこそ最初の3、4年は収入を得ていないと思います。原油が140度くらいになってですね、バイオ燃料がブームになったんですけど、創業年が2007年ですね。
その時にバイオ燃料がブームになったんだけども、食べ物がなくなるんじゃないかと、豆腐が食えないとかですね。トルティーヤが食えなくて、暴動が起きるとかの話が出ている頃で、食べ物じゃない物から燃料をつくれたら面白いんじゃないかなとバックトゥザフューチャーみたいな世界ですけど、ゴミを入れたら車が走るみたいな世界じゃないですけど、廃油からバイオディーゼルを作って、それを事業化したら面白いんじゃないかということで、スタートの事業だったんですけど。
吉野
最初はバイオディーゼルでスタートしたんですけど、なかなかバイオディーセルの市場も立ち上がって来ない中で、じゃあこのプロセスを使って、化学品を作った方が面白いんじゃないかってことで、そうしないと事業が立ち上がって来ないので、化学品事業に会社をシフトさせて、ここまで来ているという感じですね。
経営者プロフィール
| 氏名 | 吉野 巌 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 CEO |
| 生年月日 | 1967年7月19日 |
会社概要
| 社名 | マイクロ波化学株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 大阪府吹田市山田丘2番8号テクノアライアンス棟 3階 |
| 設立 | 2007 |
| 業種分類 | 化学 |
| 代表者名 | 吉野 巌 |
| 従業員数 | 41 名 |
| 事業概要 | マイクロ波化学プロセスの研究開発及びエンジニアリング マイクロ波化学プロセスを活用した製品製造における合弁事業、ライセンス事業 マイクロ波化学プロセスを活用した製品の製造・販売 |