Vol.2 退社を決意した理由とアメリカ留学
インタビュー内容
退社を決意した理由と アメリカ留学
吉野
会社に入って10年近くなった時に、少しづつ自分の仕事がマンネリ化してきたというか、なかなか新しい発見とかチャレンジ、生意気だったのもあると思うんですけど、ないないと感じてきて、日本の商社マンも大会社もそうだと思うんですけど、自分が何年かごにどういうことをやっているかある程度分かってくるんですよね。
大きな会社に入ると、それがいやだなと、自分自身その高校からずっとアメフトをやって、バブルのピークでそのまま就職してですね。商社マンになって10年くらい一生懸命やって、あまり立ち止まって考えることがないというか、勢いのままきたのもあったなと思ってですね。新しいことにチャレンジしようかなというふうに若気の至りですけど、考えて会社を辞めたんですけど。
その時はベンチャーをやりたいというのはなかったんですけど、三井物産生活の後半の方でですね、結構トレーディングをやっていく中で、色々な大きな会社も小さな会社もあって、トレーナーの人と色々と私語をする機会があったんですね。
本当に独立心があってですね、自分の組織の中にいても個人の力で仕事をしているというか、個人の名前とか信用で仕事をしているところがあったので、そういう自分自身で道を切り開いている人に触れてですね、そういうところに自分の身をおいてみたいなと思ったと思います。
吉野
高校で慶応に入ってからちゃんと勉強したことがなかったなと思ったので、30過ぎていたんですけど、一回勉強をしてみるのもいいんじゃないかと思って、ビジネススクールに行ったんですけど、私の知り合いで何人かビジネススクールに行った人もいましたし、自分自身が色んなプロジェクトなんかにも関わって、タンカーをつくるプロジェクトがあってですね、ケミカルタンカーだったんですけど、船を作るプロジェクトをしたことがあって、自分がいかに物事を知らないかをそこで思い知ったというのもありますよね。
財務的なことや会計的なことも含めてですね。やってみると全然しらないなと。実際にビジネススクールに行くと、座学でいい点を取るのも重要なんだけど、いろんな経験をするのが重要だと思ってですね、色んなプロジェクトに積極的に関わっていったんで、そういう意味では座学の勉強も見についたし、いわゆるプロジェクトっていうんですかね、それは色んな国から人達か集まる、バックグラウンドでやるプロジェクトだったので非常に楽しかったですよ。
一番大きかったのは、やっぱりそういうやっぱりそういうプロジェクトで、すごく多様なメンバーのプロジェクトを推進するためにどうしたらいいかっていうのを学べたのは大きいですね。
吉野
みんな考え方も違いますし、年齢もバラバラですし、国籍も違う中でですね、基本的にはコミュニケーションをよくするっていのが非常に重要。言葉で言うと非常に陳腐なんですけど、たとえばこういうことを言ったら相手が怒るかなとかこういうことを言ったらどうかということを含めて非常にダイレクトに相手に伝えていくことが非常に重要だと思いましたね。
とにかく分かってくれるだろうとか、そういうのは全くないんですね。自分が考えていること、あるいは考えを引きだすことを含めてですね、コミュニケーションをしっかりやって行くことは重要だと思います。
経営者プロフィール
| 氏名 | 吉野 巌 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 CEO |
| 生年月日 | 1967年7月19日 |
会社概要
| 社名 | マイクロ波化学株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 大阪府吹田市山田丘2番8号テクノアライアンス棟 3階 |
| 設立 | 2007 |
| 業種分類 | 化学 |
| 代表者名 | 吉野 巌 |
| 従業員数 | 41 名 |
| 事業概要 | マイクロ波化学プロセスの研究開発及びエンジニアリング マイクロ波化学プロセスを活用した製品製造における合弁事業、ライセンス事業 マイクロ波化学プロセスを活用した製品の製造・販売 |