株式会社サカエ 世界最高水準のセキュリティレベルを実現したシュレッダーなどを自社開発 株式会社サカエ 代表取締役社長 松本 弘一  (2015年12月取材)

Vol.2 24歳で社長就任

インタビュー内容

24歳で社長就任

松本

自分の会社の工場に入って1カ月で、死んじゃったもんですから。

聞き手

お父様が。

松本

はい

聞き手

突然?

松本

突然。
じゃあこれから会社をどうするんだって。幹部の葬式の部屋で、そういう話になったわけなんです。
どうします?
24で、わかったおれがやるって言って。

聞き手

手を上げられたんですか、ご自身で。
周りから弘一君しかいないだろうとなって?

松本

全然そんなかんじじゃないですね。

聞き手

やもえない状態といっても、まだ社会人歴2年。しかも専門的なことを学んでいた途中ですから。

松本

専門は何も学ばないで、現場で、三菱電機さんのところで。
毎日同じことをして、なんで毎日こんなことをやらされるんだって。

聞き手

そんな状態で経営者に

松本

やって、設計もやらさせてもらったり、最後は碑文谷で、ダイエーさんのヘルプやっていたの、販売員。
三菱電機のクリーナーを一生懸命売っていたの。
一通りやらさせてもらったの。

聞き手

いわゆる現場ですよね。

松本

現場です。現場でね、設計もやりましたけど、ただやっぱり技術系なんで、新しい物を開発する仕事をしたいなというのはなんとなく思っていた。経営をやるなんて全然考えてなかったですね。

聞き手

さて24歳で経営者になりましたって時に、まず一番最初に何をやろうと思ったんですか?

松本

下請けだったんですよね。ほとんどオンリーさんっていう、99%大企業さんの下請けをやっていたんです。
こんなんじゃね、社員の給料も増えないし、絶対自分たちで開発したものを自分たちのブランドで売る会社に変えるんだと。もう最初から。

聞き手

社内から色んな反発もあるわけですよね?やっぱり人間ってこう、一番変化に適応できない。

松本

会社っていうのは、1日経って変化がなければそれはもう時代遅れになる。
三栄っていう販売会社の方は、父親が給料計算から、個払いから、お客さんへの営業から全部自分でやっていて。
工場の方は、そういった外部からの出向者が来ていたんで、私は東京に住まいを移して、5年間営業の方をメインでやったんですよ。本社を離れるってことになれば、なんていうんですか、離れるってことと、工場で事故とかが起きてどんどん悪くなる。
で、母親に名前だけでいいから、社長になってもらって、僕は副社長で、工場に行くと。で、やってくれと頼んだんですよ。それで、私より向いているんですよ。結構。さすがだなと思って。私は工場の立て直しをやる。


経営者プロフィール

氏名 松本 弘一
役職 代表取締役社長

会社概要

社名 株式会社サカエ
本社所在地 東京都港区新橋1-11-4 三栄ビル
設立 1952
業種分類 精密機器
代表者名 松本 弘一
従業員数 150 名
WEBサイト http://www.sakaecorp.com/
事業概要 事務用機器(オフィス用シュレッダー『Shred Gear(シュレッドギア)』) 、医療用検査装置(糖尿病検査分析装置『A1c iGear』など)、ヒーター機器などの製造・開発・販売
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