ハイアス・アンド・カンパニー株式会社
代表取締役社長 濵村 聖一

濵村 聖一(はまむら せいいち)/1982年、日本電池株式会社(現株式会社ジーエス・ユアサ コーポレーション)に入社。83年に株式会社日本エル・シー・エー(現株式会社エル・シー・エーホールディングス)に転職し、大手企業を中心としたコンサルティング業務に従事。同社役員及び子会社などの代表取締役社長などを歴任し、2005年にハイアス・アンド・カンパニー株式会社を設立。同社代表取締役社長として現在に至る。
2005年に創業したハイアス・アンド・カンパニー株式会社は、全国の中小建設業者・工務店・不動産仲介業者などを会員に持ち、組織化したネットワークを駆使して、ビジネスモデルや経営改善のソリューションを提供している。また、住宅が適切な資産価値を維持できるような仕組みの導入を目指しているという点も特徴的である。2016年4月にマザーズ上場を果たし、成長を続ける同社代表取締役社長、濵村聖一氏に、創業までの経緯や今後の展望などについて話を伺った。
地域経済の活性化を目指して

-社長のご経歴や、御社を創業されたきっかけについてお聞かせください。
濵村 聖一:
最初は、日本電池株式会社(現株式会社ジーエス・ユアサコーポレーション)というエネルギー関連の会社に就職しました。当時、サンシャイン計画やムーンライト計画が政府主導で進行しておりまして、私が勤務していた会社もそのプロジェクトに参加していました。私は、学生時代コンピュータ技術を研究していたので、同社で社内システムの構築に当たっていましたが、株式会社日本エル・シー・エー(現 株式会社エル・シー・エーホールディングス)からヘッドハントをされ、コンサルティング業界へと飛び込んだのです。そこで「DIPS」というホワイトカラーの生産性を上げるノウハウを多くの上場企業に導入し、成果を上げることに成功しました。その中で、大手ハウスメーカーも担当していたのですが、それが今の会社を立ちあげるきっかけになっています。
コンサルタントの仕事は、まず既存のシステムに沿って問題を解決していき、次にそのシステム自体に問題があれば仕組みを変えるという手順を踏みます。その仕組みの中にあるものとして重要なのが、商材やサービスです。特に住宅業界は扱う部品の数が非常に多いということが特徴です。部品点数は車よりも多く、多くの要素技術も業界内で開発します。それを一から行える体力があるのは、やはり大手のハウスメーカーでした。東京に本社がある大手メーカーが利益を蓄えるという構造では、いつまで経っても地方の中小企業の経営は良くなりません。だからこそ、地方の企業を活性化し、地域の中でお金が回る仕組みを作らなくてはと思い、ハイアス・アンド・カンパニーを立ち上げたのです。
地域の中堅中小企業がその地域で一定のシェアを持ち、地元の業者に発注し、なおかつ部材も地域で賄うという良い流れを作るには、規模の大きい住宅産業はうってつけでした。弊社は大手ハウスメーカーをクライアントに持ちません。地域の工務店や建設業者が大手ハウスメーカーに勝てる状況を作らない限り、地域経済を活性化させることは難しいでしょう。こうした状況を変えるために、私はこの業界に参入しようと決めたのです。
逆境から生まれる新商品
-創業されて、どのような困難がありましたか?
濵村 聖一:
コンサルタント会社を退職し独立するときに、クライアントを引き継ぐことはできませんでした。ですので、最初は顧客がいない状態でスタートしたのです。当初は資本金で経営をやりくりしていたようなものでした。しかし、不安は感じていませんでしたね。それまで繋がりがあった仕事関係の方々が声をかけてくださり、融資や協力をしてくださったからです。そうして増資を重ね、徐々に経常利益も出始めてきたころ、リーマンショックが起こりました。日本全体の経済が回らず、もちろんほかに支援を頼めるような状況ではありませんでした。
しかし、弊社ではそこで立ち止まることなく新商品を出し、経営を安定化させるべく動き続けていきました。そのおかげで少しずつ経営も安定していきましたが、2011年には東日本大震災が起こってしまったのです。この震災の時には、特に住宅企業に様々な影響が及び、職人が確保できないという状況にも陥りました。そういう状況でも新しい商品やサービスを必要としている人がいらっしゃいます。そのニーズに応え続けていくことで、必然的に収入にも繋がっていきました。こうした経緯が、弊社の商品数が多い理由の1つでもあります。今後、住宅不動産関係の法律が大幅に変わっていきますので、それに向けて新たな商品を準備しているところです。